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2013年8月16日金曜日

Vol.14 東京生まれ東京育ちが地方出身者から授かる恩恵と浴びる毒 ~後篇~



前篇の続きです。

後半はこんな感じで終わってました↓

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…地方出身の友達が「東京はみんなのもの」と言ったことがあります。

これには大変驚きました。

「いろいろしがらみあるけど、やっぱり落ち着ける地元」を残したまま、

東京でやりたい放題やりやがって。

私たちには処女地がないというのに、なんだそれは。

東京在住の地方出身者は自分の地元を思い浮かべていただきたい。

遠くから大量にとめどなく人が押し寄せてきて景色を変え、常識を変え、

「だって、ここはみんなのものでしょ」と言われたらどんな気分になるか…。

東京だったら勝鬨橋の向こう側まで開発されたときのあの喪失感! 

もうここまで奴らのバビロンに…と膝から崩れ落ちました。

東京に生まれ育つということは、相当の既得権益に恵まれるか

自覚的に強者にならないかぎり、レイプされ続けるということでもあります。

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ここからが後篇です↓



東京を目指す人たちが見ている東京は、東京じゃない人たちが作った東京。

隣の家も裏の家も、先住民は相続できずに土地を売り、桜の木が切り倒されて

一軒分だった土地に二軒の鉛筆みたいな家が建つ。知らない人が越してくる。

地元としての東京と首都としての東京は、

同じ場所なのに思い入れに著しく乖離があって……

まぁ、そんな不安定な心模様を盾に被害者ぶってばかりでも格好わるいので、

今度はちょっと視点を変えてみます。



たとえば、東京人のマリー・アントワネット具合が癇に障るという話。

これはなんとなくわかる。

社会人になって数年後、ちょっと年下のおしゃれな東京育ちのバンド車に同乗して

横浜から東京に戻ってきていたときのことです。

「おい、ヒマだからシューワやろうぜ」とボーカルが言い、

ベースやドラムがそれに賛同しました。

そして彼らは窓の外を熱心に眺めはじめました。

数分後、「あ! 見つけた! あそこ!」とボーカルが指をさし示した先には

青いドレープのような瓦屋根と厚く塗った白い壁、

黒い鉄柵のバルコニーが特徴的な昭和の高級マンション、

秀和レジデンスがありました。



その多くが1970年代に建てられた秀和レジデンスは、

豊かな都会を象徴する東京の記号のひとつでした。

彼らは横浜から東京に戻ってくる高速の道で、到着地点につくまでに

誰がいちばん多くの秀和レジデンスを見つけられるかを競っていました。

これが「秋になると色づく栗の木を誰よりも早く山の上から見つける」だとか

「キューポラから登る煙が何本見つけられるか競う」だったら

叙景にすぐれたエピソードとして、人の心を打ったかもしれない。

それが秀和レジデンスになっただけで、東京で生まれ育った私でも

口角を下げながら小鼻の両脇に力を入れたような顔になってしまう。

都会だなぁ~と、挑んでもいない勝負に負けた気になる。

もちろん、当の本人たちに悪意はさらさらありません。

一部の、とか、金持ちの、とか、ヤマノテだから…ではないと思いますよ。

東京に生家があり長く暮らしているというだけで、

なにかしらそうしたものは醸しているはずです。



一方、私のように虚栄心の強いもっさい東京人は非常に滑稽です。

東京じゃない人が作った東京の記号にいちいち振り回される。

私にだって、多くの人が憧れる東京に生まれ育ったからには、

外から見てなんとなくそれっぽく見えるよう振舞いたいという見栄があります。

ですので、地方出身者が作った東京発のトレンドに乗り遅れないよう、

服や食べ物や遊ぶ場所など、借り物の東京イメージを頑張って模倣します。

今までの人生ではまったくご縁のない振り付けを、

さも自分も考案者のひとりような顔をして踊りるのです。



薄切りトリュフが大量にかかったフォアグラ(下品!)、ちょっと食べてみたい。

新しくできたファッションビルの屋上庭園カフェ、見てみたくて仕方がない。

虚栄心の強い東京人にとってなにより大変なのは、

こうやって外来種が作った東京トレンド的なものに追いつくことです。

追いつくというか、流行を知っていることがたいせつで、

知った上で却下することでアイデンティティを保っているところがある。

蚊帳の外の「東京トレンド」にわざわざ首を突っ込んで

田舎臭さの片りんを得意気に指でつまみ、

「ないわーwww」とわざわざ言いにいく心の狭さ!

まるで息子の嫁が作ったみそしるを、隠れて味見してディスる姑のよう!

と同時に、地方出身者が作る「東京トレンド」の動向が視界の端で気になって気になって

自己嫌悪に陥るハイカロリーな作業でもあります。

(さあ、あなたたちのなかでOzやHanakoの街特集を買ったことのない東京女だけが、

まず、私に石を投げなさい。)



よくよく考えてみれば、子供の頃にウキウキして出かけた遊園地も

おしゃれな街も、生粋の東京人が作ったものではまるでない。

ねたみ半分に地方出身者の東京ものがたりを嗤ったところで、

当の私が子供のころからその洗礼と影響を受けまくっている。

私たちは東京じゃない人が作った巨大テーマパークで遊ばされていただけでした。

ていうかどんどん遡れば、江戸だってそうだ。

いろんなところから人が入ってきていたはず。

「東京」は江戸時代からヨソモノに運営されているのだとしたら、

四代住もうが十代続こうか、外から人が流入してくる特性を持つ時点で

変化に対し先住民はやや無力。無力どころか利便性もふくめ、

相当な恩恵に預かっていることは明白です。

それでもまだ、イキがってTOKYO LIFEをエンジョイしてる風の人を見ると

「いいから中学の卒アルもってこい」と心のなかで毒づく私は

自分よりずっと積極的能動的に東京を楽しみ、東京を作れる地方出身者に

強いコンプレックスを感じているのでしょう。



「あいつらに私たちの気持ちはわからないし、奴らの気持ちもわからない!」

そう腐っていた私の考えが変わったのは

30代前半にNYへ出張へいったときでした。

それまでも観光でNYに行ったことはありましたが、仕事で行ったのは初めて。

たった1週間の滞在でしたが、マンハッタンのド真中にあるオフィスに通い、

アメリカの雑誌やテレビでしか見たことのない著名人や

荒っぽいニューヨーカー(という名の地方出身者。多分。)と対峙したりしていると、

いつしか「この摩天楼め! かかってこい! やってやる!!!」という気分になってくる。

たった1週間の滞在なのに、タイムズスクエアでは観光客を邪魔そうにかき分けて歩き、

この街に馬鹿にされちゃいけないという気分と、

この街で(たった一週間の滞在なのに!!!)働いていることの誇らしさまで生まれてくる。

それでいて自分の街ではないので、この街を大切にする気はまるで起こりません。

飲みこまれるまえにやり捨ててやれ! ぐらいの気負いです。



なぜそこまで気負うか? 

高揚が抑えきれなかったから。そして私はこの街の赤の他人だったから。

朝から夜までキラキラ輝くマンハッタンを歩きまくり、妄想は青空天井。

そして高揚するばかりでなく、私は緊張していた。

緊張すればするほど街と自分の間の距離は離れていって、

けたたましい街中で感じた、静寂と孤独。

ブワっと街が自分の周囲から離れていくような感じ。

浮かれているのを隠すのが精いっぱいで、悪目立ちしていないかと気が気じゃない。

街と自分の間に膜があるような、この距離感は初めての経験でした。



最初からここの一員じゃないことは、こんなにも胃にくるのか。

これはアメリカの田舎に留学していたときも、

NYに観光できたときにも感じたことのない

高揚と緊張と孤独と静寂の、なんだかよくわからないものでした。

とにかく、私がこの街の一員ではないことだけは確かでした。



またあるときは、アップタウンを私と一緒に歩いていた

NYで働く日本人の友人が丸めた紙をポイと道に捨ててびっくりしました。

「え? 道に捨てちゃうの?」

「ここは私の街じゃないし、みんなそうしてるからいいのよ。」

それはゴミを捨てるという行為だけではなく、

NY生活が思い通りにいかないことに対するいらだちの仕返しのようでもありました。

真似して私もガムの紙を捨てました。
※ジュリアーニさん調子に乗ってすみませんでした。

ポイ捨てしても罪悪感なんてまるで生まれず、

そんなことなんともないと思う自分が強くなった気すらしました。

ウオー!!! 私は東京という故郷を手にした外来種である!!!

その時、一瞬だけ、私は地方出身者になりました。



現在地と別に故郷を持つNYでの疑似体験で、

故郷との距離は、現在地での今日の起爆剤になりうることを知りました。

大好きと大嫌いの渦に巻かれ、それに心が奮い立たされました。

故郷があるから頑張れる。故郷には帰りたくない。頑張らなきゃあとがない。

くだらないシガラミはないから、この街では再起動し放題。

うまくいったら故郷に帰って自慢したい。 居場所はある?

下手を打ったら最悪故郷に戻ればいい。 本当に? 

自由だけど孤独。圧倒的孤独。

でもここでなら、あそこではできないなにかができる気がする。

この街でうまくやれない私は最低で、でもこの街にいることは最高だ。 本当に?



たった1週間の出張で、ここまで自家中毒気味になりました。ばかでしょ。

出張と居住では比べ物になりませんが、

なんとなく「理解不能」だと思っていた人たちが立つ岸からの景色を

垣間見た感触はありました。

東京を悪く言う地方出身者に「じゃあ、帰れよ」と言うのは、

コミュニケーションの質としては最低に近いということも。

それを言っちゃあおしまいよということを言うと、そこで全部止まっちゃうからね。



地方出身者が移り住んだ「首都:東京」と私の「地元:東京」は、

共依存のパラレルワールドなのかもしれません。

本来ならそれぞれが独立世界であるはずのパラレルワールドが、

同じ場所に存在し同じ時間が流れる矛盾の上に成り立っている。



東京もあと少し、昔のままの面影を残せるとありがたいですね。

ほんの一部でいいから、そのまま残しておいてくれないかなぁ。

景色から想起される過去の記憶がないのは、ちょっとさみしいんですよね。

でももう「不可侵の故郷」なんて、日本中ほとんどどこにもないのかも。



お、そうこうしている間にUターンが始まったみたい。

上り車線の大渋滞の映像を見て、私はまだちょっと身構えてしまいます。

誰かがどこかで溜めこんだパワーが、そこかしこで炸裂する私の地元。

恩恵と毒を同時に浴びて、今日も私はウェップ!となるのです。

15 件のコメント:

  1.  ああ、こういうオチになるのか。さすがプロだけあって良く出来た江戸落語ですなぁ。
     我々大阪人は自らを「恩恵であり毒」と自覚している-その部分に誇りがあるやらないやら-ので、こういう感じでオチてくるとは、結構想像の斜め上でございました。
     大阪人はどこにいっても「大阪人のまま」もしくは反対に「すぐに地元人化」する傾向があるので、この感覚が理性ではわかるけど、感覚的にはわかりづらいものがあります。
    「いや別に、大阪とかどうなろうとどうでもええしな。」

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    1.  追伸 大阪人の中の大阪人である、故・司馬遼太郎氏は、大阪で「好きやねん大阪」キャンペーンという、どうしようもないキャンペーンが始まった頃「恥かしくてしょうがない。大阪人というのは、自分の地元の悪口を言われてたとき、ニヤニヤ笑って喜んでいるものだったのに…」と嘆いておられました。ホンマにその通り…いまもたまにこの手の気持ち悪くてしょうがないキャンペーンが時々あるので「ああ、大阪ももう終わりやな…」と、「故郷の喪失感」を感じます。
       地方人はさることながら、“都市人”であるはずの、生まれ育ちも東京の人の多くが、地元東京の悪口を言われて本気で怒っている、不快感を表しているのを見て、不思議でしかたがありませんなぁ。
       なんで?そのとおりのことをモロに言われたら、おもしろいやんか。

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  2. 頷ける事多いです。

    お盆・年末年始の帰省ラッシュをニュースでみて、「別にもう東京に戻ってこなくてもいいんだよ」と毒づくのが年中行事です。

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  3. 祖父が両方とも戦前や戦中から東京に出てきたまでの、高校3年間の埼玉通学以外の練馬出身で江戸っ子ではまったくありませんが、初めて首都圏以外で暮らし始めて一年が経ちました。勤め人の仕事が板に付いていなかったという違和感もあってということもありますが、なるほど自分はやっぱりパラレルワールドに住んでいたんだ?!・・そうだよな!?!と、こちらの記事を読ませていただき、東京にいた時に言葉にして考えようとしなかったことが確信に変わった様な気がします。

    最近は、譜代大名、外様大名、県民性など、頻繁に調べるようになってしまいました。

    こちらでは自分がどう振る舞うかを、覆面を付けたままか、外したままか、その時によってかなのかは、当てはめさせて頂いてもまだつかめません。こちらの言葉のことだけを見ても、話してほしい方とそうでない方もいらっしゃり、お茶の間気分の共通点になりそうな所はスピーチだけをするよう心がけています。
    ネタになるのかテクにされるのか判りませんが、そこだけ皆さんよく聞いてることに最近気づきました。高齢者の方の方が元々優しい方でも、肩肘張らないで下さるので話しやすいです。

    でももう覆面付けてるからって原発爆発までは得する人少ないので、その技は禁じ手になるような気がします。多いのか!?!一応故郷ですからうちの茶の間でという思い方だったら、ここでそこまでするのという思い方をしたと思います。でもそれで成り立ってきたし、それが現実なので僕も覆面を付けて泣けばいいのやら笑えばいいのやらです。

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  4. 数年前、飲んでいる時に「俺は地方出身者から蚊帳の外に弾き出された。」と言ったことを思い出しました。そう私は、リングアウトした当事者です。
     地方出身者が東京に向ける羨望は、企業理念のような物で具現化される筈の無い世界だと思っていましたが、それが全く異なることを私も大学時代に経験しました。各々のイメージは異なりますが、その理想郷に強がりながらフィットしようとする過程を目の当たりにした訳です。まぁ私自身も(都内の西より出身なので)他人事では有りませんでしたが・・・
     今になってみると、ここに落ち着けば一体何が待っているのか、さっぱり価値を見出せません(強がっているだけです)。ただ、あくまでも私見ですが上手く乗っかりさえすれば、自由な世界が確かに待っていると思います。不謹慎かつ偏見ですが、地方ではしがらみから大人しくしていた生娘が、一旦東京に来ると派手な化粧で男遊びをしまくるなんてことがあると思います。何の根拠も無いのに東京だから許されることと、自分勝手な世界像を見る見る作り込んでいきます。
     そんなパワーに圧倒され、またそれに伴う現実的な問題(通勤ラッシュ!?)に挫折した私は大学を卒業した瞬間に都落ちして早10年が経ちます。そんな地方人が時折東京のシャレオツなお店で買い物をすると、メンバーズカードを実家の住所で書き込んでしまうことが有ります。俺の虚栄心も捨てたものじゃ無い。

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  5. まったく、同感です。私は横浜出身なので、東京出身の方と地方出身者の方の両方の気持ちが分かる気がします。横浜の人間なら分かってもらえると思いますが。神奈川の首都横浜に住み、東京にコンプレックスを感じる感覚とでも言いますか。ジェーンさんのモノの描き方は、私のモヤモヤした部分を解消してくれます。

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    1. 自分も横浜出身です。本当に、伊勢佐木町が陥落して久しいですが、本当に共感しました。

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    2. おらも横浜生まれだべ。
      でも、おらは、18から新宿に10年ぐらい住んでおってな。
      ある意味、東京生まれの人も地方出身の人もキャっきゃん的に見てたけど、東京生まれの人はそのことにある種のプライドを持ってるけど、「東京の」普通の人って感じのが多かったな。
      でも才能とパワーのある人もいて、そういう東京生まれの人も東京を作ってるし、当然ながら、地方から才能やパワー持った人が集まって来てるから、「東京はみんなのもの」ってのも分からなくないな。
      普通の人でも東京に生まれ育っただけで、ある種のプライドみたいなのを持てるのは、みんなで作ってる街に生まれたからでしょ。
      横浜はそういう場所じゃないから、熱い地方の人も来ないし、全然、ローカルなんだよな。
      東京の人たちが東京っぽい物を持ち込んでくるから、そこそこ栄えてるけど、神奈川県人の家庭内みたいな街で見栄を張っても意味ないからね。
      なんか外国人旅行者とかにこんな街見られるのが恥ずかしいぐらい外からの人を気にしない。
      こんな横浜ってどうすればいいんだろう。。

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  6. 東京生まれ東京育ち(新下町エリア)です。ちなみに母方はひいおばあちゃんまでは確実に東京です。藍染めの工場を経営していたそうな。
    学校も都内でしたし、学校帰りに映画見たり、ディズニーランド行ったり、カラオケ行ったり楽しくやってました。

    電車があるから、いらないなと思って車の免許はまだ持ってない。
    「え?免許ないの?」と驚かれても、「だって必要ないもん」と答える。

    1軒の立派なおうちが建っていて場所に、
    「え、窓開けてすぐ隣の家の壁だけどいいの?」っていうような、
    小さな小さな家が4軒とかで、3000万円代で売り出される。
    (買いに来る人の車のナンバーみると埼玉とかが多い)

    一人暮らしをしようと思って、家賃を検索したらびっくりするぐらい高くて、引っ越しできない。。。そこで東京の価値を知りましたw

    夏の暑い日に「あれ、なんで人がいないの?」って思うと、
    お盆だったみたいな。

    小学生の頃、
    「8月のお盆のときにおじいちゃんちに行く」という友達がいて
    「?」となったこともある。
    我が家ではお盆は7月だったので、8月のお盆って何?って思ってました。

    東京を選んできたわけじゃない。
    偶然そこに生まれただけであって、
    そんな大したことじゃないのにって思ってます。

    地方からでてきて一人暮らししてる人たちのことは本当に尊敬します。
    ガッツあるなーって。

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  9. 前篇後篇読みましたが、あなたの認識違いを正しておきます。
    東京に生まれ育っても、東京は私物化できないのです。
    あなたが勝手に自分の所有地から外に出て、毒を浴びたり戦ったりしているのです。
    NYとかでも同じですが、そこではどこで生まれ育ったかに関係なく、みんな平等です。
    地方出身者をエイリアン扱いしてるようですが、東京は元々彼らの街でもあるのです。
    あなたの先祖が東京に住むのが早かっただけで、「東京のほんの一部」をお金とか徳の力で使っているのです。
    後から来た人が東京のその他の場所に住めば、その人だって東京の人になります。
    土地を買ったにせよ、マンションを借りてるにせよ、首都とはそういう性質であり、東京のほとんどは流動的な地方出身者の街でもあります。
    あなたの自宅に上がりこんで東京の文句を言うならともかく、東京に来た人が東京の文句を言うのは自由であり、一部の先住民がどう思おうと、違う意見が多ければそれに沿って街は変わって行きます。
    東京の先住民は大地主でも王様でもなく、一住民に過ぎませんが、東京生活に強い憧れを持ってる人からは、羨ましがられる存在ですから、軽い優越感やプライドを持てるのです。
    そういう先住民が井の中の蛙な環境で育つと「東京全体=あたしの家庭内」みたいな認識違いが生じて、狭い視野で内側からしか東京を見れず、東京の全体像が正しく理解できません。
    その一人があなたです。

    追記

    あとで自分のブログに考えをまとめることにしたので、その時こちらのコメントは削除します。
    私の生まれた横浜都心部もある意味都会だし、新宿に長く住み、私も以前はあなたのように思っていました。
    ただ、実際には社会に出れば、先住民か地方出身者かは関係なく、どちらが東京を作ってるかの区別も、どうでもいいんです。
    あなたの言う恩恵はお金が有れば誰でも受けていることだし、もし地方出身者がエイリアンなら、あなたの先祖もさかのぼればエイリアンです。
    先住民としての粋がりや愛都心は良いですが、地方出身者への差別心は大人げないです。
    自信満々の田舎者がいて、Uターンラッシュもある、彼らの街なので当たり前です。

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  10. はじめまして。
    ・・・初めてブログの文章を読ませていただいたので、初めましてです。

    東京、お好きなのですね。純粋に愛していらっしゃる感じに思われます。
    地方出身者もそんな感じなのです、たぶん。

    私自身は「東京をつくった」わけでもなく「地元をつくった」わけでもなくですが…。

    いまは「どこからともなく現れた謎の人」が新幹線とやらいう超特急を作り、
    「どこからともなく現れた謎の人」がお店を開いて、街も(町もかな・・・)変わってきています。

    よーく考えると、先祖って「結局は同じ」なのかな・・・って思ったりもします。
    だって、人類って「なんかの生き物が進化して、その過程で出来た」だけなんだもん。

    かなりさかのぼり過ぎましたが、そんな感じで東京を眺めるのも一興だと思いますよ。

    批判するだけ、おなかもすきますし・・・。

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  11. 私もあなたと同じく東京の生まれ育ちですが多摩地域です。しかし東京はみんなのものだと思っており、東京を故郷だと思ったことは一回もありません。私は故郷、方言、地元など地方出身者が持っているものすべてを持たざる者だと考えて生きいてきました。そのせいで私は東京への憎悪を燃やしていました。やがて東京が経済的に豊かと知っていてもより憎たらしいと感じるようになってしまいました。そして、高校を卒業し、大好きな田舎の大学へ行こうと思っても、父親が金がかかるからと東京の大学へ行けと、まだまだ東京という呪縛からは逃れられそうにないです。社会人になってからでしょうか。それまで耐えられないのです。ああ、東京が憎くてしょうがない。

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