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2014年4月13日日曜日

Vol.19 ピンクと和解せよ


あっという間に桜が咲いて、散りました。がっくし。

今はちょうど桜の花が散ったあとの、

若葉の緑が目に眩しい季節ですなぁ。



さて突然ですが、ピンクは好きですか? 

儚く淡いピンク、溌剌としたビビッドなピンク、若々しく透明感のあるピンク。



子供の頃からずっと、私はピンクが大の苦手でした。

ギリギリ許せて、サーモンピンク。

サーモンピンクには奥ゆかしさがあるからな。

しかし『正当派』な女の子は、往々にしてピンク好きが多い。

そして私は、ピンクと気負いなく戯れる彼女たちを見ると、

なぜか胸が潰れそうな気持ちになっていた。



ピンク。あんなに自己愛の強そうな色はないでしょう? 

あんなに媚びて発情している色もない。

あんなに可愛らしさが記号化された色もない。

ピンク好きを公言したり、ピンクの小物を持ったりするのは、

可愛がられたい気持ちを全面に押し出しているのと同義! 

そんなのズルいし、そもそも恥ずかしい。

愛玩対象として世間様に自分を提示するなんて、私のプライドが許さない! 

女はみんなピンクが好きなんて思われてるけど、私は女である前に人間です!

まぁそんな感じで、随分長いこと私はピンクを毛嫌いしておりました。

「 もっとピンクのお花を部屋に飾ったりして、自分の女性らしさを愛してあげた方が良い 」

などとスピった人に言われ、怒髪天を突いたり忙しい毎日でした。

しかし、良く良く思い返してみると、いつからピンクを嫌いになったのかが思い出せない。

いやむしろ、私にもピンクに憧れた時代があったような気がしたのです。



思い起こせば幼少期、テレビや絵本に出てくる可愛い女の子は、

大抵ピンクを身に付けていました。

ドラえもんのしずかちゃんは、いつだってピンクの服を着ています。

サザエさんの花沢さんには、ピンクの服のイメージはありません。

どちらが周囲から愛でられている中心的存在の女子かは、言わずもがなです。



私が子供の頃、女児用のおもちゃはだいたいがピンク色でした。

当然、私もその流れでピンク色のなにかを持ちたがりました。

例えばコンパクトケースや、おままごと用のキッチン玩具。

そして忘れもしない…… と言いたいところですが

すっかり忘れていた記憶をほじくり返すと、

なんの疑いもなくピンクと戯れていたあの頃に、ちょっとした事件がありました。



あれは幼稚園生の時分でしょうか、私はピンク色の靴を欲しがりました。

たしか、その当時流行っていたアニメのイラストがプリントされた、ズックだったと思います。

子供のことですから、自分に似合うかどうかなんて客観性は持ち合わせていません。

ただただ、私はその可愛い靴が欲しかった。それを身につけたかった。

しかし、ファッショナブルな母は「あなたにピンクは似合わないわよ」とそれを一蹴しました。

母にまるで悪気がないのは、子供の私にもわかりました。

わかったからこそ、キツかった。

そして母は正しく、のちに子供時代の写真を見ると、私は圧倒的に、

母が好んで着せていたネイビーブルーが良く似合う女児だったのであります。



この記憶を思い出すまで、私は自発的にピンクを嫌っていたのだと思っていました。

「あんなのは従属的で、脇の甘い女が好む色だ」と、

自分からピンクを拒絶したと思っていた。

しかし、それは間違いでした。

私はもっともっと昔、ピンクに負けていたのです。

ピンクから選ばれなかったと言ってもいい。

選ばれないなら、こっちから願い下げだ! と

ひとり息巻いていただけ。あー格好悪い!

だけどそれからずっと、ピンクは私を不安定にさせる

居心地の悪い色ナンバーワンになりました。



子供の私は、ピンクの靴を可愛いと思いました。

可愛いものを身に付けて、自分も可愛くなりたかった。

ピンクは可愛らしさの象徴でしたし、可愛い子供は愛でられた。

私は可愛くなって、もっともっと愛でられたかった。

「可愛らしさ」と「愛でられること」は私のなかで等記号で結ばれていたので、

ピンクを身に付ければ私も無条件に可愛くなって、

いろんな人から愛でられると思っていたのかも。

そこで、ピンクが似合わない=可愛くない=愛でられない

という梯子の外され方をするとは、思ってもいなかったのでしょう。

私は両親や周囲の人に愛されて育ってきた自負があるけれど、

ピンクが似合うような可愛らしさで、愛でられた記憶は殆どありませんのよ。

なんていうのかしら、大人が相好を崩してデレデレになる感じ?

アレに遭遇した記憶があんまりないのですよ。



大変残念なことに、成長するにつれ、

私の「ピンク似合わない度」はどんどんアップしていきました。

自意識が育てば育つほど、私とピンクの相性の悪さは明確になっていきました。

こうなると、ピンクが似合う女や、ピンクが好きな女が憎くなる。

いや、むしろピンクが憎い。

ピンクを軽んじることで、私は自分の心が潰れるのを回避していました。

しかし、赤と白が混ざったあの色は常に私をイライラさせ、

邪気無くピンクに駆け寄る女たちに、私はいつも焦げ付くような視線を送っていました。



思春期には私の「ピンク憎けりゃ人まで憎い」スタイルが確立されました。

同時に「ピンクの似合わない女は愛でられないし、大人や異性に愛されない」と

勝手に自分を追い詰めました。

ピンクが似合わない自分にバツを付けるたび心が摩滅していったので、

自己防衛として「異性に可愛いがられ、愛でられたいと欲すること自体が悪!」

という暴論に辿りついたのです。まったくもって、私はどうかしていた。

愛でられたいと思うことが悪! という思いの方が、よっぽど自分を追い詰めるのに。



随分前にスピった人から

「 ピンクの花を飾って、自分の女性らしさを大切にしてあげて 」

と言われて私の腹が立ったのは、

「 ピンクが苦手なのは、あなたが自分の女性らしさを認めていないから 」

と言われたのと同じ意味だったから。

女性らしさの欠如をいちばん後ろめたく思っていたのは自分自身で、

それをひた隠しにしていた私には、

「 内在する女らしさを認めて、ピンクを愛でよ 」は痛恨の一撃でした。

それが痛恨の一撃だったということは、

「 ピンクが似合わない私はピンクに選ばれなかった 」

という子供のころに封印したはずの傷が

確かにまだ心のなかに存在したということです。

ピンクに選ばれなかったと自覚している私が、

自分からピンクを愛でなくてはいけないなんて、

苦痛以外のなにものでもありませんからね。だから無性に腹が立った。



この嫌悪はいつまでも続くものだと思っていました。

しかし、四十代の背中が見え始め、自分が女であることにも慣れ、

女としての記号的な性的価値が下がり始めてようやく、

ピンクが似合う女ではないことが、どうでもよくなりました。

ようやく、ピンクが似合うことが愛される必須条件ではないと、

体験的に理解したからでしょう。

あと残念ながら、媚びの象徴に見えていたピンクを纏ったぐらいでは、

媚びているようには見えなくなってしまったからなんですよ、三十代後半以降。

フッツー。ピンク着てもフッツー。ちょっとご陽気に見えるぐらい。

加齢、本当に素晴らしいな。



それからはリハビリピンクとでも申しましょうか、

まずは身の周りに日常的にある雑貨(例えばバスマットや文房具)に

ピンクを取り入れてみました。

うむ、悪くない。

次に、鞄に入れて持ち歩くもの(キーホルダーなど)をピンクにしてみました。

うむ、イライラはしない。

そして最終的には財布の裏地がピンク、を楽しめるようになり、

四十路にしてようやく、鮮やかなピンク色の服を着られるようになりました。



ピンクに記号的な可愛さを託し、周囲にシナを作る女は未だに苦手です。

しかし、それはピンクが悪いからではない。

ピンクをテコに、可愛らしさで人より得をしたり楽をしたりしようとする、

その女の浅ましさが薄気味悪いだけです。

ピンクを身に付けて気分が良くなること自体は、罪ではない。



ピンクと接して、初めて分かったこともあります。

ピンクには想像以上にバリエーションがあって、

ヤンキー臭や過剰な女らしさを振り巻かないピンクもある。

たとえ飛び抜けた美人や可愛らしい女ではなくとも、

試してみれば、誰にでもそこそこ似合うピンクがある。



こうして、私はピンクと和解しました。

ピンクはいまでも受動的な愛され願望を連想させるけれど、

そう思うということは、私のなかに受動的な愛され願望があるという意味でもありまして、

そんな自分もニヤニヤと認められるようにもなりました。

ピンクは私にとって特別な色ではなくなり、

いまでは 「 ピンク? ああ、あいつイイ奴だよね~ 」程度のスタンスが取れる。

気付けば私はピンクに囲まれて……とはならず、

小物の多くは鮮やかな若葉色のものばかり。

若葉色はピンクの補色! 

結局、ピンクがそこまで好きなわけではなかったんですよね。

ピンクと和解した上でほかの色を選ぶ私は、

以前よりずっと自由になったと思います。

女らしいかどうかはわからないけど、私らしいと思うので。



8 件のコメント:

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  2. 私はパーソナルカラー信者なので、似合う色と似合わない色(肌がキレイに見える色、見えない色)があると思ってます。
    ピンクにも違いがあるから、可愛いピンク色を纏っていても似合わない人もいると思います。
    スーさんはサーモンピンクが似合う色なのだと思いますよ。

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  3. あんまりに同感なので初めてネットに書き込みさせていただきました。
    ピンクが好きなことに何の意識ももっていない末っ子である母親の趣味を
    毛嫌いしている長女の私ですがピンクとの和解、今年四十の私にもできるとよいと思いました。
    いまのところうちにあるピンクといえば・・
    マリメッコの小さなポーチとグレーの紬の着物にあわせる帯締め、という段階です。
    自分の中では同様の意識から幼稚園のころバレエを習ってみたいと言い出せなかったけれど
    四十からは体力づくりを口実にやれそうな気がします。

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  4. ピンクのデザインの服はかわいいものが多いので、直感的に買いますが、結局似合わないので、タンスの肥やしです。

    ところで、先日の相談は踊るの「逆ダイレクション」の話、とても感動しました。自転車こぎながらポッドキャストを聞いて、泣いてしまいました(ギリプレ中年です)。
    どんなつらい状況も3年も経てば確かに変わるものですね。
    他の人が味わえないようなおいしい思いもたくさんしてるので、「逆ダイレクションなう!」な勢いで頑張ります。
    来週も楽しみしてます。

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  5. このネタに食い込むのちょっと恥ずかしいですが、男のピンクも愛され願望なのでしょうか?身の回りで1着だけカジュアルピンクシャツが有りますが、結構気に入っていてこのまま着続けたら真っ白になりそうな位です。ただ、初めて着たときは、その女性的なイメージから勇気がいりました。愛着有りますが、他者からそれを得たいと思ったことはない(つもり)です。

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  7. こんな、共感し吹き出し自分の過去思い出す、すごい文章はじめて読みました。
    自分の言葉にならん葛藤をそのまま文字で読ませてもらったような感動。
    そっか〜だよな〜そうだったのか〜みたいな。
    私も紺色をやたらすすめられた女児でした。
    fbのシェアから辿り着きました。ありがとうです。

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  8. はじめまして。
    ツイッターでおすすめされていたので来て、はじめて読んだのがこの記事です。

    ピンクに対する心の動きがあまりにも共感してしまい、コメントしたくなりました。
    私も今は自分に似合うピンクに出会って、少しずつ付き合いを多くしているところです。

    私の「ピンクから選ばれなかった」体験は、幼稚園児のときです。
    引っ越しで転園したとき、女の子用のピンクのコップが足りなくて、男の子用の緑のコップを持たされました。
    このときに他の女の子から「なんで男の子のを使っているの?」と何度も言われ、うまく説明できなくて傷ついた記憶があります。

    そんな小さなころから男女の区別が出来上がっているんだなあと、感慨深いものがありますね(;'∀')

    著作、2冊を注文しました。
    届くのを楽しみに、今後もブログを楽しませていただきます。
    ありがとうございました(^^)/

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